【長崎市が苗を配布して普及】

長崎市は平成19年より「ゆうこう」の普及を図るために苗を配布を始めた。
その苗の原木が土井の首地区にある。
写真の中央に写っている木。 この木の枝を切り、東長崎の植木の 里で接ぎ木されて成長した苗木を配布している。母体となる親木はカラタチが採用されている。
苗木の配布
平成19年   56本
平成20年  370本
平成21年   40本
平成22年  199本

【土井の首地区のゆうこうの所在地】

川上正徳氏提供

【スローフードに認定】
2008年(平成20年) にはイタリアのスローフードの協会が世界の伝統食文化を守るために認定している「味の方舟」に選ばれました。
 この経緯は、まず昭和53年(1978年)に行政が主導してド・ロ神父の故郷ヴォスロール村と外海町が姉妹提携した。その後、ほぼ5年おきに相互訪問して交流してきた。平成18年3月には外海で「ゆうこう」の植樹祭がフェルム・ド・外海の主催で開催されてフランス、ヴォスロールからも村長ら8名も参加し全体では約100名が参加して行われた。その時に出席していた料理研究家の黒川陽子氏(スローフードジャパン理事)の勧めでスローフード協会への申請を行った。そして、イタリアのトリノで開催されたスローフード世界大会テッラマードレ2008で認定された。

(注1)
根角博久氏
焼津(独) 農業研究機構果樹研究所より平成15年に長崎県果樹研究所に転勤されて、川上氏と共に「ゆうこう」の調査研究に従事されました。 現在は 四国の善通寺の研究所に勤務されている。

日宇スギノ(68歳)
外海の西出津町で生まれ、おばあちゃんからド・ロ神父のお話を聞いて育った潜伏キリシタンの子孫である。 昭和58年(1983年)にフェルム・ド・外海(外海の農家・農場)を設立してその代表を務める。当時は外海町教育委員会の職員で地域の食材を生かそうと特産品や保存食作りや勉強会に取り組んだ。国際交流も行い、ド・ロ神父の故郷、フランスのヴォスロールにも6回以上訪問した。スローフードの認定式会場のイタリアにも出向いた。一昨年、春(平成25年)にはレストラン「ヴォスロール」をオーブンして地域の食材、特に香酸柑橘「ゆうこう」を使った食事を提供している。又「田舎体験」も受け入れていている。日宇さんは「神父は友情や友好をとても大切にする人だったと聞いています。だからこそわらべ歌にも「とも(友)さん、ともさんと…」と歌い、果物に「ゆうこう」と名付けたような気がします。その思いを世界に広げて行きたい」と語る。日宇さん夫婦は3人の娘に恵まれていて、長女と次女は修道女の道を歩んでいる。

ゆうこう関連の歴史
時代西暦年号時代背景ゆうこう関連
戦国時代1549天文18フランシスコ・ザビエル来日キリスト教布教始まる。
江戸時代1612慶長17禁教令(秀吉)
1637寛永14島原の乱
幕府による禁教令
1667寛文7ザボン長崎に輸入
この間ザボンとユズが自然交配して「ゆうこう」が自生したと考えられる。
1805文化2潜伏キリシタン達が外海より土井の首へ移住を始めた。この時に「ゆうこう」も移植した可能性があるが、生活が安定してないと考えられるので可能性は薄いと思われる。
明治1868慶応4ド・ロ神父 来日
1873明治6キリスト教解禁
1879明治12ド・ロ神父
外海に赴任
「ゆうこう」を外海地区で広めた。この頃に土井の首地区などに移住した潜伏キリシタンとの交流のなかで移植したとも考えられる。
1914大正3ド・ロ神父 没

【生産体制】
振興会会長名収穫量(トン)
外海地区ゆうこう振興会会長 村野 侃氏約 3.5
長崎市ゆうこう振興会会長 中尾順光氏約 4
鹿尾ゆうこう生産振興会会長 小中龍徳氏約 1
生産高は平成27年2月現在
鹿尾ゆうこう生産振興会は平成27年3月で解散した。

【編集後記】
ゆうこうラーメンの販売促進の活動を始めて見ると、「ゆうこう」が以外に知られていないことが判明した。そこで、ゆうこうラーメンの普及のためには、「ゆうこう」の知名度を上げることも大事であり、「ゆうこう」の由来の情報収集を行った。今回は、「ゆうこう」に詳しい川上正徳氏と日宇スギノさんから直接、面談して聴取すると共に、これまでに公表された書物や刊行物、新聞の記事を入手して、「ゆうこうの由来」について取り纏めた。更に「ゆうこう」が生育している外海地区と土井の首地区を訪ねて現状の調査も行った。これまでの調査の結果について、一応、推測も交えてまとめて見ると次のようになる。

長崎由来のザボンを親にもつ「ゆうこう」は外海地区でユズとの自然交配で自生し始めた。外海地区に赴任して、世界遺産登録の候補にもなっている出津教会を建立したド・ロ神父が見つけて、当時、貧しい生活をしている地域の人達に酢の代わりをする調味料として広めると共にゆうこうの木を外海地区内に普及した。その頃に外海地区から移住していた潜伏キリシタン達が外海地区と交流している内にド・ロ神父に推奨されて「ゆうこう」を潜伏地区の土井の首や五島、馬渡島(唐津市)に移植した。今日も「ゆうこう」が自生したり、栽培されているのは、この地区のみである。特に土井の首地区には約100年の原木が現存している。
「ゆうこう」は、いつ、どこで自生がはじまり、名前の由来は不明であるが、ド・ロ神父とキリシタン達に発見されて、育てられた長崎特有の香酸柑橘と言うことが出来る。平成17年9月には園芸学会で「香酸柑橘ゆうこう」は新種として発表されて、平成20年にはイタリアの国際スローフード協会の「味の方舟」にも登録された。
平成27年3月30日
長崎総合科学大学
客員教授  山中孝友

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