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時代 | 西暦 | 年号 | 時代背景 | ゆうこう関連 |
戦国時代 | 1549 | 天文18 | フランシスコ・ザビエル来日 | キリスト教布教始まる。 |
江戸時代 | 1612 | 慶長17 | 禁教令(秀吉) | 1637 | 寛永14 | 島原の乱 幕府による禁教令 | 1667 | 寛文7 | ザボン長崎に輸入 | この間ザボンとユズが自然交配して「ゆうこう」が自生したと考えられる。 | 1805 | 文化2 | 潜伏キリシタン達が外海より土井の首へ移住を始めた。 | この時に「ゆうこう」も移植した可能性があるが、生活が安定してないと考えられるので可能性は薄いと思われる。 |
明治 | 1868 | 慶応4 | ド・ロ神父 来日 | 1873 | 明治6 | キリスト教解禁 | 1879 | 明治12 | ド・ロ神父 外海に赴任 | 「ゆうこう」を外海地区で広めた。この頃に土井の首地区などに移住した潜伏キリシタンとの交流のなかで移植したとも考えられる。 | 1914 | 大正3 | ド・ロ神父 没 |
【生産体制】 |
振興会 | 会長名 | 収穫量(トン) |
外海地区ゆうこう振興会 | 会長 村野 侃氏 | 約 3.5 |
長崎市ゆうこう振興会 | 会長 中尾順光氏 | 約 4 |
鹿尾ゆうこう生産振興会 | 会長 小中龍徳氏 | 約 1 |
生産高は平成27年2月現在 鹿尾ゆうこう生産振興会は平成27年3月で解散した。 |
【編集後記】 |
ゆうこうラーメンの販売促進の活動を始めて見ると、「ゆうこう」が以外に知られていないことが判明した。そこで、ゆうこうラーメンの普及のためには、「ゆうこう」の知名度を上げることも大事であり、「ゆうこう」の由来の情報収集を行った。今回は、「ゆうこう」に詳しい川上正徳氏と日宇スギノさんから直接、面談して聴取すると共に、これまでに公表された書物や刊行物、新聞の記事を入手して、「ゆうこうの由来」について取り纏めた。更に「ゆうこう」が生育している外海地区と土井の首地区を訪ねて現状の調査も行った。これまでの調査の結果について、一応、推測も交えてまとめて見ると次のようになる。 長崎由来のザボンを親にもつ「ゆうこう」は外海地区でユズとの自然交配で自生し始めた。外海地区に赴任して、世界遺産登録の候補にもなっている出津教会を建立したド・ロ神父が見つけて、当時、貧しい生活をしている地域の人達に酢の代わりをする調味料として広めると共にゆうこうの木を外海地区内に普及した。その頃に外海地区から移住していた潜伏キリシタン達が外海地区と交流している内にド・ロ神父に推奨されて「ゆうこう」を潜伏地区の土井の首や五島、馬渡島(唐津市)に移植した。今日も「ゆうこう」が自生したり、栽培されているのは、この地区のみである。特に土井の首地区には約100年の原木が現存している。 「ゆうこう」は、いつ、どこで自生がはじまり、名前の由来は不明であるが、ド・ロ神父とキリシタン達に発見されて、育てられた長崎特有の香酸柑橘と言うことが出来る。平成17年9月には園芸学会で「香酸柑橘ゆうこう」は新種として発表されて、平成20年にはイタリアの国際スローフード協会の「味の方舟」にも登録された。 |
平成27年3月30日 長崎総合科学大学 客員教授 山中孝友 |