【生い立ち】
「ゆうこう」がどのようにして栽培され始められたのかは未だに不明であるが、一説には徳川時代にジャワから長崎に輸入されたザボン(1667年)とユズの自然交配で偶発したものと考えられている。1700年代に発生した可能がある。  土井の首地区には100年の原木が存在(注1)していると言われているので、100年前となれば年代的にド・ロ神父(1879年に外海に着任)がフランスから持ち込んだと考えられることから、そのことを信じている人が外海にはいるらしいが、ド・ロ神父の故郷に度々、訪問して調査された日宇さんによればド・ロ神父の故郷ヴォスロールには「ゆうこう」はないことが判明しました。 一方、土井の首地区にある善長谷教会の説明文によれば、1805年に潜伏キリシタンが三重地区の樫山から移住してきたと記載されていて石碑もある。この後に「ゆうこう」を移植したとも考えられる。しかし、善長谷教会の説明文に記載されているが旅芸人に扮して逃れて行ったとあり、ゆうこう等を移植するほどのゆとりはなかったと思われる。
 ド・ロ神父は外海に着任した1879年以降は外海地区の貧しい人達を助けることに貢献されて、「ゆうこう」を外海地区内で広めたことは間違いない事実である。土井の首地区や五島などにに移住した潜伏キリシタンはド・ロ神父と交流するために外海地区を往来していたようで、その往来の際に「ゆうこう」をド・ロ神父に勧められて移植したとも考えられる。そのように考えると土井の首地区に存在する原木が100年と言われているが、年代的に会うことになる。 (注1) 「ゆうこう}の原木については現地調査したので後述しています。

【名前の「ゆうこう」の由来】
 また、「ゆうこう」の名称も いわれがはっきりしないが、幕末に来日したド・ロ神父(1840-1914)がフランス人宣教師として1878年6月に外海でキリスト教の布教を始めた。そのド・ロ神父の生活記録の1899年と1902年にはすでに「ゆうこう」と言う名前が使用されている。 ド・ロ神父はフランスノルマンディー地方のヴォスロールと言う農村育ちであったことから農業に詳しく山林を開墾して農地を開いた。 彼の開墾した畑(大平開墾地)や行動した場所に「ゆうこう」が育っているのでド・ロ神父は外海地域内に広く「ゆうこう」を広めて行ったと思われるが、名付けの親とは言い切れない。
  面白い話としては、日宇さんよればド・ロ神父は友好や友情を大事にしていたので、この「友好」を口にしている間に、いつの日か現在の柑橘「ゆうこう」になったのではと言う説があるらしい。 当時の「ゆうこう」は酢の物や香り付け、鰯等の靑魚の調味料、子供のおやつや飲み物代わり、お風呂に浮かべたり、風邪を引いた時には薬の代わりとして人々に愛されていた。日宇さんによれば、「するめ」に「ゆうこう」を絡めたものは歯槽膿漏に良く効くとおばあさんから聞いていたとのことでした。

【余談1】潜伏キリシタンとド・ロ神父の交流について
川上正徳氏の話によれば、五島に移住していた潜伏キリシタンがド・ ロ神父にお金を借りに来て、五島への帰途、海賊に襲われて、すっか りお金を取られたという話が伝えられているとのことです。この事は 潜伏キリシタンが外海地方と往来していたことの証しである。
【余談2】ド・ロ神父は死を覚悟して赴任
川上正徳氏の話によれば、ド・ロ神父は禁教令下で赴任したが、その 際、周りからは殺されるかもしれないので、日本に行くことを反対され たが、振り切って日本に来たとのことである。

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