こうして、「ゆうこう」が絶滅の危機に瀕する中で、2001年(平成13年)に当時、
長崎市役所土井首支所長であった川上正徳氏が「ゆうこう」の存在を知り、NHK趣味の園芸で紹介され独立行政法人果樹研究所かんきつ研究所根角博久科長とメールで情報交換して独自に調査していましたが、その後、長崎県果樹試験場に転勤されてから一緒に本格調査を開始し、学会発表をして新種の蜜柑として認められました。
平成の大合併でもう一つの産地であった外海地区が長崎市となったことから、「ゆうこう」を地産地消として増産する取り組みが長崎市により始められました。長崎市は土井首、外海両地区に加え、カンキツ篤農家の中尾順光氏の3グループに平成19年より4年間にわたり植樹用の苗木を通算655本を提供して「ゆうこう」の増産に努めました。
一方「ゆうこう」の成分分析を県立シーボルト大学へ依頼した結果、「ゆうこう」のフラボノイド(ヘスペリジン、ナリルチン)が健康に良いことが分かり長崎市と長崎県立大学で特許を申請、認可されました。また「ゆうこう」の名前を守るため商標登録も行いました。
【豆知識】
江戸時代に弾圧のもとでも密かにキリスト教の信仰を捨てずに代々伝えて行った信者を「潜伏キリシタン」と言われ、明治以降にキリスト教が解禁されて再びカトリックの宣教がなされても、これを受け入れずに、今なお独自の信仰式を継承していく人達が長崎県内に存在する。この人達を学術的にカクレキリシタンと言う。カクレキリシタン(学術表現)の研究者である宮崎賢太郎・長崎純心大学教授は次のように定義している。
”「カクレキリシタン」とは、キリシタン時代にキリスト今日に改宗した者の子孫であり、1873年に禁教令が解かれて信仰の自由が認められた後もカトリックとは一線を画し、潜伏時代より伝承されてきた信仰形態を組織下にあって維持し続けている人々を指す。オラショや儀礼などに多分にキリシタン的要素を留めているが、長年月にわたる指導者不在のもと、日本の民俗信仰と深く結びつき、重層信仰、祖先崇拝、現世利益、儀礼主義的傾向を強く示すものである。”
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